2020年06月02日

自販機大国・日本。「賞味期限切れ」のドリンクを売る自販機まで?

外国人が日本に来て、驚くことのひとつ。それは、どこにでもある自動販売機。

どこにいても、飲み物を買うことができる。いつでもアルコールが手に入る。街中の、しかも道端に自販機がたくさん並んでいる国は他にない。その便利さに感嘆する。

もちろん、海外にも自販機はあるが、道端ではなく、商業施設や建物の中にある。

なぜ日本では、街中いたるところに自販機があるのか。消費者の利便性を考えてのことなのか?

確かに昔はそうだった。早朝や深夜など、店の開いていない時間帯でも、“必要なもの”が買えるようにしたのである。

電器店の横には、乾電池の自販機があった。幹線道路沿いには、カップラーメン・うどん・そばの自販機。薬局の横には、コンドーム。書店の横には、エロ本。

いまでは見かけなくなったが、必要とされていた自販機である。

24時間営業の店が増えてくると、“必要性”で置かれていた自販機は不要となる。

だが、自販機はいまも増え続けている。道端に少しでも隙間があると、すぐに自販機が占拠する。飲み物が圧倒的に多いのだが、新しい活用法としての自販機を見かけるようになった。

『売りたいものを売るための全自動ショップ』。想定外のものが売られ始めているのである。

自販機の設置には2通りあり、メーカーが自社商品を売るために、場所を借りて設置するものと、自販機を買ったオーナーが、自分の土地や借りた土地で、売りたい商品を売るものがある。

最近、後者が増えているのだが、ほとんどの場合は、一番売りやすいドリンク類である。

だが、『全自動ショップ』としての機能性を見込んで、自店の商品を自販機に並べるケースが増えている。

それがなかなかユニークで、自販機の可能性を感じさせてくれる。

「だし醤油」「焼肉のタレ」「豆腐」「納豆」「玉子」「米」「バナナ」「クレープ」「わさび漬け」「竹ちくわ」「しょうゆ・もろみ」「ポップコーン」「キャラメル」「トートバッグ」「Tシャツ」「小さな仏像」などなど。

自販機である必要性は感じないのだが、よく売れているものもある。

マーケティングを専門とする私にも、買う人の心理が読めない分野である。

他にも面白い活用法がある。

自動車の運転免許試験場の近くでは、「運転免許試験問題集」の自販機が。落ちた人は買ってしまうのではないか。

瀬戸内海の「しまなみ海道」にある自販機では、「自転車用チューブ」が売られている。この場所は、サイクリングの聖地として知られ、当然パンクする人もいる。

「賞味期限切れ」と正直に書かれたドリンクを50円で販売している自販機もある。したたかだが、気にしない人は買うだろう。

海外にもユニークな自販機がある。

アメリカなら、「プリペイド携帯」「キャビア」「サッカーボール」「カップケーキ」「生きたロブスター」など。

ドイツなら、「ハム・ソーセージ」「焼きたてパン」。

中国は、「生きた上海蟹」。

シンガポールは、「マッシュポテト」。

国によって、“ウケる”ものがあるのだろう。

自販機に入る大きさのものなら、売れないものはないのではないか。小さなスペースと電気さえあれば、簡単にすばやく店が持てるのである。投資額もリスクも少ない。

これは、個人でもできるビジネスチャンスである。可能性は無限大。売れなければ、すぐさま別の商品に切り替えることもできる。

『全自動ショップ』は、小さなビジネスかもしれないが、楽しいビジネスであることは間違いない。

posted by 佐藤きよあき at 08:32| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月26日

農業技術が進歩するほど、庶民は美味しい野菜・果物が食べられなくなる!?

いま、農業を取り巻く環境は厳しい。後継者不足による高齢化。廃業する農家も多く、耕作放棄地も増え続けている。さらに、TPP問題。

だが、明るいニュースも入ってくる。企業参入の緩和や農業技術の進歩である。企業が農業を始めることで、耕作放棄地が減り、地方に雇用も生まれる。これにより、地域の活性化が期待できるようになる。

また、農業技術の進歩は、キツい作業の多い農業を楽にしてくれ、若い層の就農を後押しする。田畑を耕し、種を蒔き、水をやり、雑草を除去し、収穫する。これらのすべてを機械でできるようになっている。

腰を曲げた姿勢での作業や、重いものを手で運ぶことが少なくなりつつある。

技術の進歩はそれだけではない。水のやり方、温度調整、肥料の与え方などは、熟練の技術と長年の勘が頼りだったが、いまやコンピュータやセンサの活用により、経験の浅い人間でも、それなりにできるようになっている。

極端なことを言えば、コンピュータの指示に従えば良いのである。

最近では、土が乾いたことをスマホで知らせるアプリまで開発されているので、絶えず見まわる必要もなくなっている。こうしたシステムを活用すれば、美味しい野菜・果物が作りやすくなるのである。

いまは、作物の良し悪しも、センサで判別できるようになっている。特に糖度が価格を左右する果物は、光センサを使うことで、個体ごとに仕分けることができる。

従来なら、切った果物の汁を糖度計で計測していたが、これではサンプルの糖度しかわからない。同じ木に成った果物すべてが同じ糖度ではないので、不確実な仕分けとなっていた。センサで確実に甘いことのわかった果物は、当然高いランクとされ、取り引き価格も高くなる。

さらに、「低温貯蔵」の技術も確立されている。これは、糖度・栄養の低い作物でも、低温で貯蔵することで熟成され、美味しくなる方法である。

ここまでできるようになると、作物づくりで失敗することは少なくなる。すなわち、農家の収入アップに繋がるのである。

このように、農業技術が進歩すれば、農業はキツい仕事ではなくなり、若い層も増え、収入も安定するようになる。高く売れることがわかれば、やりがいも生まれる。良いことだらけではないか。

……が、ここで疑問が。

美味しい野菜・果物が確実に判別できるようになる。それはイコール、高付加価値商品の誕生である。これを逆に捉えれば、野菜・果物が高くなるのではないか、という不安が出てくる。

いまの野菜・果物は、安く売られていても、中には美味しいものに当たることがある。それが、これまでの農業技術の限界だったから。

だが、美味しい野菜・果物が確実に選別されてしまうと、安く売られるものは、あまり美味しくないものとなってしまう。つまり、庶民が買うことのできるものは、美味しいとは言えないものになるのではないか。あるいは、TPPで安く入ってくる、安全面に不安の残る海外産となる。

農業の発展は喜ぶべきことだが、庶民の食生活は淋しいものとなりはしないのか。これは、考え過ぎだろうか。

posted by 佐藤きよあき at 09:56| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

高齢者の“ゲーセン通い”は是か? 非か?

あなたは最近、ゲームセンターに足を運んでいるだろうか? 恐らく、このコラムを読んでいる人のほとんどは、行っていないだろう。

ゲーセンと言えば、中高生の溜まり場的なイメージだと思うが、最近は大きく様変わりしている。土日は、小学生以下を連れた家族が多いのだが、そこに混じって高齢者の姿をよく見かける。平日は、高齢者の方が多い。

ゲーセンと高齢者は、イメージのギャップが大きいのだが、徐々に増えてきている。だが、なぜいま高齢者なのか。

第一に考えられるのは、「ゲーセンは楽しい」ということに、高齢者が気づいたのである。若い頃には存在さえ無かったので、まったく知らない世界である。

1回100円を投入すれば、感じたことのない興奮を憶える。多少金に余裕のある世代なので、あまり金のことを気にせず、退屈な毎日に、ひとときの楽しみを得ることができる。

第二には、ゲーセンに行くことに大義があるということ。「ボケ防止」。手先を使い、脳を刺激する。医学的にもその効果は証明されているので、堂々と入っていくことができる。ただの無駄遣いではなく、健康のためだと言い訳できる。

第三には、孫へのプレゼントが獲得できるということ。最近のゲーセンは、クレーンゲームのような、賞品を狙うものが多い。

しかも、おもちゃではなく、キャラクターのついたタオルやクッション、マグカップなど、生活用品的な賞品が揃っている。

おもちゃでは、孫の親である自分の子どもにイヤな顔をされるが、使えるものなら喜んでくれる。孫の笑顔のためなら、おじいちゃん、おばあちゃんは、頑張ってしまうものである。

このように、高齢者がゲーセンに通うことは、悪いことではない。健康のためや日本経済のためにもなる。

ただ、時々見かけるのが、異常なまでにのめり込んでいる人である。賞品を取ることに執着し過ぎて、次から次へと100円玉を投入している。鬼のような形相で、まったく楽しそうではない。

こうなっては、心身ともに悪影響を及ぼす。自身の性格を考えてから、足を運んで欲しいと願う。

ゲーセンに行かなくとも、テレビゲームをすれば、「ボケ防止」になるのではないかとは思う。「ゲーム=良くないもの」ではない。使い方次第では、薬にもなる。

ゲーセンに足を運ぶことも運動になるので、どんどん行けば良いのではないか。“ほどほど”を楽しめば、高齢者にとって、素晴らしいレジャーになるだろう。

posted by 佐藤きよあき at 14:25| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

高齢者が小さなスーパーを利用する理由。

イオン系&セブン系のショッピングセンターやスーパーが、“こんなところにまで?”と思うような田舎をも含め、全国に進出している。

これにより、その地域でしか見かけなかった、地元のローカルスーパーが次々と潰れている。

若い世代は、都会でしか手に入らなかった商品が買えるようになり、その便利さに喜んでいる。だが、地元のスーパーがなくなり、困っている人たちもたくさんいる。高齢者である。

大手流通の出店する店は、郊外型が多く、なおかつ巨大である。車がなければ、行けない場所にあることも多い。高齢者は車に乗れなくなっていることもある。乗ったとしても、長距離の運転は危険。

家が近くにあったとしても、店の巨大さ故に、利用しづらい部分も多い。

まずは、
・歩く時間・距離が長くなる。
 駐車場から店舗への距離も長い。

・店の中も広いので、歩きまわることに疲れる。

・欲しいモノが、なかなか見つからない。

・大きな店は天井が高く、腰の曲がった高齢者は、
 上に掲示された案内板が見えない。

・店が広いと、店員に聞こうとしても、
 近くにはいない。

・客が多くて、
 シルバーカーを押しながらでは歩きにくい。

・品数が多過ぎて、
 「どこに何があるのか」を覚えられない。

このように、若い人たちにはメリットが多い巨大スーパーでも、高齢者にとっては、不便な店になってしまうのである。

高齢者が求めているのは、「家の近く」にあって、「ほどほどの広さ」で、「すぐに店員に聞くことができる」店である。

慣れ親しんだ、地元のスーパーがなくなるのは、非常に困ることなのである。

欲しいモノがあれば、すぐに買いに行ける店。“いつものアレ”が、“あそこにある”店が、高齢者にとっては便利な店なのである。

地元の小さなローカルスーパーは、守らなければならない。新しいものばかりが、受け入れられるとは限らない。

posted by 佐藤きよあき at 10:49| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月05日

深夜の4時間しか営業しない中華料理店に、なぜ人は集まるのか?

営業時間、午後9時〜午前1時。深夜の4時間のみ店を開ける中華料理店がある。酒呑み客を相手にしているのではなく、しっかり食事としての中華料理を食べてもらう店である。

なぜ、昼でもなく、夜でもなく、深夜なのか。

残業で遅くなって、晩飯を食べていない人。遊んだ帰りで、小腹が空いた人。夜勤に備えて、腹ごしらえする人。そんな人たちが集まってくる。

住宅街なので、深夜には灯りも少なく、辺りは真っ暗。その店だけが明るく輝いており、暗い道を歩いてくると、ホッと安心する場所となっている。

明るさに心を解きほぐされた瞬間、美味しい匂いが漂ってくる。もう、入らずにはいられない。

中に入れば、深夜にも関わらず、席は8割ほど埋まっている。人気のない暗い通りを歩いてきた人は、緊張がほぐれ、まだ食べてもないのに、店に愛着を感じてしまう。

この店は温かい。

深夜営業ながら、ラーメンや定食の種類が豊富で、がっつりと食べられる。寝る前に腹一杯食べるのは、身体のためには良くない。罪悪感さえ持ってしまう。

だが、この店はそのことを忘れさせる。明るい光で、店内はまるで昼時。客の多さもそう感じさせる要因である。腹を空かせた人には、まさに天国。美味しそうなメニューに、冷静ではいられない。

深夜のみの営業は、ライバルが少ない。また、どんな時間帯にも、腹を空かせた人はいる。明かりを灯すだけで、人びとは集まってくるのである。

posted by 佐藤きよあき at 14:24| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする