2019年11月05日

“ぼったくり商売”に風穴を開ける新葬儀屋。

終活ブームである。人生の最期を理想的なものとするための、事前に行う準備のこと。

自分らしい最後を迎えたい。家族に迷惑を掛けたくない。そんな思いから、生きているうちに、葬儀やお墓の準備をしておく人が増えている。実に意義のあることだと思う。

そんな終活の中で、もっとも大きな問題となるのが、葬儀である。金が掛かり過ぎる。

自分の葬儀のために、やりたいこともやらず、コツコツ金を貯めなければならない、という馬鹿げたことが起きている。

何のために生きているのか。

日本の平均的な葬儀費用は、約200万円弱となっている。この世に未練を残しながら旅立つ費用が、200万円。旅立つのも容易ではない。

なぜ、これほどまでに金が掛かるのか。

ずばり、葬儀屋と坊主の“ぼったくり”である。

私も父を見送ったことがあるので、その悪どさは知っている。看病で疲れ切っているところに、亡くなってすぐ葬儀の準備をしなければならない。

しかも、まったく知らない世界のこと。それを狙っているかのように、葬儀屋は次々と細かな決断を迫る。

どんな式にするか? 棺はどれか? 料理は? 会葬御礼は? 供物は? ………。

疲れと悲しみで、ボーッとなっているところに、マシンガントークのような“売り込み”。

面倒になって、「他の方はどうされていますか?」と聞くと、「ほとんど、こちらをお選びですね」と、やや高めのものを勧められる。

極力冷静になろうとするものの、早く済ませたい思いから、ほぼ葬儀屋の言いなりになってしまう。

その結果、掛かった費用は100万円超。

明細を見ると、そのひとつひとつが常識を逸脱した値段になっている。

棺がいくらするか、ご存知だろうか。一番安くて、5万円弱。高いものでは、数百万円。火葬で灰になってしまうものに、何万円も払わなければならない。

他にも、祭壇、花、遺骨容器など、驚くべき数字が並んでいる。市場原理が存在しない金額だと言える。

こんなことが、なぜ許されているのか。いままで、誰も文句を言ったことがないのか。

大切な儀式は慣習に則ってやらなければならない、という人びとの固定観念を利用した、悪徳商法ではないのか。

それだけではない。寺院への御礼が、これまた怪しい。

お布施と呼ばれ、本来は坊主への心づけなので、いくらでも良いはずだが、相場があると言われる。

戒名をつけてもらうのにもお布施がいる。これがまたまた怪しい。

戒名にも「位」があって、高い「位」の戒名は高くなる。もっとも「位」の低い戒名でも、15〜20万円。高くなると、数百万円。金で地位が買えてしまう。

亡くなってもなお、金がものを言う世界へ行かなければならないのか。ふざけるな! と言いたい。

そんな腹立たしさを静めてくれる葬儀屋が、ここ数年でやっと現れた。

通夜・告別式を行わず、火葬のみを行う「火葬式」なら、16〜18万円でやってくれる。

通夜・告別式・火葬までを少人数の参列者で行う「家族葬」なら、50万円弱。

マシンガントークで、追加を迫られることもない。

これなら、家族に金を残してやれる。あまり迷惑をかけずに旅立つことができる。これこそが、旅立つ者の最後の役割ではないのか。

間違った常識は、正さなければならない。誰もが疑問に思っていることは、誰かが言い出さなければいけない。

よくぞ言ってくれた。新葬儀屋。

posted by 佐藤きよあき at 14:27| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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