2019年06月30日

“セーラームーン”を買い漁るアラサー女子。

90年代の少女漫画「美少女戦士セーラームーン」。テレビアニメも爆発的にヒットし、何本もシリーズが生まれた。アニメに登場する主人公たちが持っているアイテムが商品化され、そちらも大ヒット。

だが、どの時代でも“買ってもらえない子”はいて、はかない“憧れ”は、ほろ苦い想い出へと変わってしまうのである。やがて、“買ってもらえない子”は大人になり、想い出は心の奥底で静かに眠っていた。

そこに眼をつけたのが、おもちゃメーカーである。買ってもらえなかった憧れのおもちゃを、少女たちの眼の前に出現させたのである。

大人になったいま、自分の金が買うことができる。おもちゃメーカーが、昔のおもちゃを大人バージョンで復活させたのである。

セーラームーンの「ムーンスティック」「変身コンパクトミラー」……。

特に「コンパクトミラー」は、その実用性もあって、当時の少女、いまのアラサー女子の大人気となった。

子どもの頃の憧れは、非常に強く心に残るもので、それが眼の前に現れれば、大人であることを忘れ、つい買ってしまう。

誰に自慢するわけでもなく、自室でひとり悦に入る。やっと夢が叶った満足感に、酔いしれるのである。

こうした購買行動を「乙女消費」と呼ぶ。昔の憧れを大人になったいま実現する。

この消費活動は、他の世代でも今後起こり得る。各世代ごとに、憧れのおもちゃはあったはずである。

ママレンジ、リカちゃんハウス、シルバニアファミリー……。現在も販売しているものはあるが、できる限り当時のままを手に入れたいので、復刻版を出せば、乙女たちは飛びつくことだろう。

以前、仮面ライダーの変身ベルトが大人バージョンで発売された時には、即、完売となった。

大人がおもちゃを買って楽しんでいる姿を想像すると、微笑ましく思う。くだらないと思う人もいるかもしれないが、純粋な心を忘れない大人たちを批判してはいけない。

辛い社会、厳しい世の中で、しばし笑顔になれる新しい消費活動である。もっともっと広がれば、経済も盛り上がり、みんなが明るくなれる気がする。

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2019年06月26日

“強い農家”を作るためには、「農協」を廃止せよ!

一般の農家は、「TPP」に反対する。法人化したり、独自の販売ルートを開拓している農家は、「TPP」など恐れはしない。この違いは何か?

まずは、『商品力』。

どこにも負けないという自信を持っている農家は、海外から入って来る野菜など、敵ではない。逆に輸出することで、もっと販路を開拓できると期待している。

自信のない農家は、安い海外産に押されて、売れなくなるのではないかと不安を持つ。すなわち、商品力の低さを認めてしまっているのである。

次に、『営業力』。

強い農家は、スーパー・レストランなどと直接契約して、安定した収益を確保している。海外へのルートも開拓しようとしている。

弱い農家は、「農協」任せ。農協に持っていけば、お金がもらえる。農協に言われるまま、農薬を使って、規格通りの野菜を育て、収穫したら持っていく。

そこには、努力もなければ、創造性のカケラもない。どこにも負けない美味しい野菜など、作れるはずもない。「ぜひ、売って欲しい」と、訪ねて来る者もいない。

農家は農協を頼り過ぎている。

自分で売ったことのない人間が、消費者が本当に求めている野菜を知ることはできない。自分で売り込む努力をしないビジネスが、どこにあるのか。“甘えている”としか言えない。

農家のためにも、「農協」という存在はない方が良い。農協がなければ、自分で努力するしか方法はなくなる。それが、強い農家を作る。

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2019年06月23日

飽きやすい消費者が増えると、雇用の場が増える!?

24時間営業していて、生活に必要なものをいつでも買うことができる、コンビニエンス・ストア。

出勤途中に朝食を買うサラリーマン。昼食を買う、オフィス街の人たち。外まわりの休憩場所として。会社帰りにお酒とおつまみを。夜食を買ったり、立ち読みしたり。荷物を送ることも、公共料金の支払いも。チケットも購入できる。

あらゆる時間帯に、たくさんの人びとが利用する。まさに、“究極の便利(コンビニエンス)”を提供するお店である。

だが、便利なだけではない。“つい立ち寄ってしまう”魅力を持っている。

まず、行く度に新しい商品を見ることができる。コンビニは毎日利用する人も多いので、飽きられないように、頻繁に商品を入れ替えている。しかも、ユニークなものが多く、見ているだけでも楽しい。コンビニ限定商品もたくさん出ているので、用がなくとも、足を運んでしまう。

また、コンビニの新商品は話題になりやすいので、“話のネタ”を仕入れることができる。特に最近は、コンビニスイーツが注目され、若い女性を魅了している。

そして、「レジ横」コーナー。会計をしていると、どうしても眼に入ってくる。唐揚げや串もの、中華まん、おでん……。つい、「すみません。これも…」と、追加の注文をしてしまう。非常に誘惑されるコーナーである。

この感覚は、高速道路のサービスエリアに似ている。縁日の屋台のような魅力、とでも言うのか。しかも、それほど高くないので、誰もが買ってしまう。

このように、コンビニは楽しい。良く練られた戦略に、まんまと引っ掛かってしまう。

さて、ここからが本題。これだけ人びとに支持されるためには、さまざまな仕掛けが必要となる。出店場所や品揃え、陳列方法などが、緻密に計算されている。

だが、もっとも大きな仕掛けは、次々に登場する新商品である。

人は、新しいものが出てくると、まずは試してみたくなる。その選択が正しいかどうかは関係なく、“お試し”することが楽しいのである。その楽しさが、毎日のように体験できるのだから、コンビニには飽きる暇がない。

次々に新商品を開発することは、コンビニにとってもメーカーにとっても、大変なことである。それにも増して大変なのは、製造現場であるが。次々に商品が変わるので、製造ラインを自動化できない。

大量に売れるからといって、設備投資をしてしまうと、非常に大きなリスクを伴う。流行り廃りの激しいコンビニ界では、突然売れなくなることもあるからである。よって、人海戦術がもっとも効率の良い製造方法となる。

現在のコンビニの、特に食品関連の工場では、製造ラインの両側に人が並び、手際良く作業している。まるで、高度成長期の自動化前夜の工場のような光景である。すなわち、工場に人がたくさん存在しているのである。

自動化で人がいなくなった工場に、人が戻ってきている。これは、非常に重要なことである。単純労働が減っている現代社会において、新しい雇用が発生しているのである。

新商品が次々に登場しては消えていく生活環境には、あまり良いイメージはないが、新しい雇用を生み出すという事実には、喜ぶべきかもしれない。飽きやすい消費者が増えていることが、雇用を拡大するとは、なんとも不思議なものである。

コンビニがいまの地位を堅持、あるいは成長し続けると、一定の雇用は確保されるのではないか。

モノを作ることは、働くことの基礎。やはり、産業が栄えてこそ、社会は繁栄するのではないか。

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2019年06月19日

株式会社トップの年収は、適正なのか?

創業者ではない、大手企業トップの年収が不思議でならない。数千万〜数億円。なぜ、ここまで高いのか。儲かっているのは、その人の力なのか。その人だけが頑張った結果なのか。いや、まったく違う。

才能を発揮して、儲かるような道筋を作ったかもしれないが、大会社という器・環境があったからだ。たまたまその会社にいたからこそ、成果を上げることができた。数千人・数万人のバックアップがあったから、小さなアイデアでも大きな成果に繋がるのだ。

だが、そのことに数千万〜数億円の価値があるだろうか。

たかが雇われ社長である。一から事業を起こしたわけではない。そこまで持ち上げる必要もない。代わりはいくらでもいる。

創業者が、当然の権利として、高額な報酬を得るのは良い。だが、株式会社となった時点で、創業者の持ち物ではなくなる。株主のものである。

この時点から、創業者が筆頭株主であっても、飛び抜けた報酬を得るべきではない。トップとしての妥当な報酬+株の配当を収入とすべき。

儲かっているからと、儲かった分だけ取るのは間違っている。儲かった分は、客・従業員・株主に還元しなければならない。それが、株式会社である。

以前、逮捕された日産のカルロス・ゴーン氏の報酬が10億円というニュースがあったが、なぜそんなことがまかり通るのか。

トップの高額な報酬のために潰れた会社は、いくらでもある。リスクヘッジのためにも、プールしておくべき金ではないのか。

そんな必要はないと言うのなら、報酬を1億円にして、残り9億円で失業者を雇って欲しい。派遣社員を正社員にして欲しい。どれだけ多くの命が助かることか。そう、命。職が無いために、命を落とす人が大勢いる。

雇われ社長の報酬を適正化するだけで、多くの人間が笑顔を取り戻すのだ。これは、法制化すべき。業績に応じた報酬とし、上限を設ける。

株式会社は、トップのものではない。雇われている人間が私物化するのは、許されるものではない。

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2019年06月16日

大らかな社会は、経済発展しない。

スマホのおかげで、待ち合わせや行列にイライラしない人が増えている。待ち合わせ時間に相手が遅れていても、スマホで暇つぶしができるから、怒らなくなったという。

なるほど、そういう時にスマホが役に立つのか、と思うと同時に、人が優しくなれるかもしれないという思いが…。遅刻に怒って、険悪なムードにならないのだから。

世の中の人がみんな大らかになれば、素晴らしい社会ではないか。慌てず、騒がず、のんびり、ゆっくり。まるで、南の島の楽園である。日本で言えば、沖縄か。

そう言えば、沖縄には「沖縄時間(ウチナータイム)」という時間感覚が存在する。飲み会や集会、待ち合わせには、30分や1時間遅れるのは普通のこと、当たり前となっている。

誰も文句を言ったりしない。実に大らかである。それが沖縄の良さであり、変える必要はない。沖縄ゆえに許される、ウチナータイムである。幸せに生きていると言える。

だが、沖縄の失業率は高く、経済的には決して幸せとは言えない。ゆる〜い社会が、経済発展を阻害していると見ることもできる。沖縄をけなすつもりはない。沖縄の人はそれで幸せなのだから、批判してはいけない。

ところが、このゆるさを東京・大阪に広めるとどうなるか。時間を守らない=社会生活が成立しない。平気で遅刻する人は、社会が受け入れない。仕事に限らず、これは基本的なルールである。時間にルーズな人は、誰からも信用されない。最低限のルールを守れないような人に、仕事は任せられない。

多少のルール破りは許される、という雰囲気になってしまうと、経済的な発展は望めなくなる。南の島では良くても、大都市では許されない。

少々大袈裟な物言いになってしまったが、私は約束を守らない人が大嫌いだからである。

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