2019年04月28日

学歴を言い訳にするんじゃない!

大学全入時代となり、企業にとっては「大学卒」に価値はなくなった。まったく勉強をしてこなかった人間さえ、大学卒となっているからである。

ただし、専門性の高い大学を出ている場合は、その価値を認められる。特に工学部などの理数系は、渇望される人材となっている。すなわち、大学を出ているかどうかではなく、どんな大学を出ているか、どんな勉強をしてきたかが問われているのである。

有名大学か無名大学かという判断基準もあるが、それは有名大学だから良い人材がいるということではない。有名大学に入るためには、それなりの努力をして、競争を勝ち抜いてきている。入試の勉強だけとは言え、積み重ねてきたものがあるので、将来優秀な人材となる可能性が無名大学よりは高いということである。

誰でも入ることができる大学では、採用を決定する判断基準さえない。それなら、高卒で実務を4年間経験してきた人を中途採用した方が期待できる。

もちろん、無名大学出だから役に立たない、ということではない。有名大学出でもまったく使えない人間はたくさんいる。

すべては、社会に出てからの本人の努力次第なのである。

だが、“会社に入る”というスタート地点では、大卒VS高卒、有名大VS無名大というハンデはある。これはどうにもならない現実である。

聞いたこともないような大学卒では、大手企業には就職できない。試験・面接で頑張ろうとしたところで、エントリーシートではねられてしまう。そういう意味では、まだまだ学歴社会なのかもしれない。

とは言え、それは大手企業への就職を希望する場合の話である。大手を狙わず、自分のやりたいこと、自分の得意とすることで就職先を考えるのなら、学歴は関係なく、努力次第なのではないか。泥臭いかもしれないが、“熱意”を持って体当たりしてみろ、と言いたい。

高卒だから、無名大学卒だから、と最初から諦めてはいけない。過去を変えることはできないのだから、愚痴を言っても仕方がない。大切なのは、“これから”。

社会に出れば、評価の基準は能力のみ。できるか、できないか。役に立つか、立たないか。学歴が高いことで評価される人はいない。

出世できないこと、認められないことを学歴のせいにしている人がよくいるが、それは自身の能力のなさ、努力の足りなさをみんなに吹聴しているようなもの。恥ずかしいことである。

能力とは、才能ではなく、努力の結果である。これまで勉強してこなくても、“これから”すれば良い。サボることなく努力を続ければ、「仕事に学歴は関係ない」と、自信を持って言えるようになる。

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2019年04月24日

伝統は守るものではなく、進化させるもの。

「夏=甲子園」というほど、全国高校野球選手権大会は、伝統ある“行事”“風物詩”である。ところが、気候変動による猛暑が厳しく、地区予選も含め、選手や観客が熱中症で救急搬送されるケースが増えている。

この問題にどう対処すべきか。と、迷っている場合ではない。「伝統」か「命」かの選択を迫られている。考える余地はなく、時間をずらすか、時期をずらすしか、対処の方法はない。やっと、休息日やナイターを実施することとはなったが、まだまだ不十分。このまま伝統に縛られていては、地球上もっとも重い「命」を犠牲にすることになる。

ビジネスや商売の世界でも同じ選択をしなければならない時がある。古い慣習・教えといった伝統を頑なに守ろうとすると、時代に取り残され、老舗の看板を降ろさなければならなくなる。

伝統は守るべきものだが、守っているだけでは、“古くさい”だけの価値のないものになってしまう。お客さまや時代に合わせて、少しずつ進化させなければならない。

伝統とは、カタチではなく、ポリシーのことである。お客さまに喜んでもらうためには何が必要なのかという、基本的な考え方のこと。考え方にこだわりを持っていれば、カタチが変わろうとも、それは伝統を守っていることになる。

何百年と続く老舗を見ればわかる。古いものを守りながらも、常に新しいものにチャレンジし、お客さまを飽きさせないようにしている。伝統にあぐらをかかず、日々努力を続けているのである。

伝統にあぐらをかいてしまったのが、日本の家電業界である。従来通りの「高機能」「多機能」「大型化」を追求し、消費者にそっぽを向かれてしまった。いまの消費者は、そんなものを求めてはいない。なぜ、気づかないのか。

そこに気づいたのが、日本の小さな新興メーカーで、いま非常に元気である。これまでの伝統で培われた技術をもとに、「単機能」「低価格」で市場を席巻し始めている。

「サムスン」や「LG」も低価格ではあるが、やはり日本人は日本の技術を信頼している。その伝統を持つ小さなメーカーが低価格品を出してくれば、そちらを選ぶのは必至である。

これは、家電業界そのものの“進化”と捉えることができる。伝統を守ることしか考えなかった大手メーカーは、消え去る時が来たのかもしれない。

posted by 佐藤きよあき at 10:12| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月21日

就活学年増設、大学を5年制にしろ!

経団連は、大学生の就活解禁の時期を3年生の3月1日以降に繰り下げた。何だがご大層なことのように言っているが、私はこれまでと大差ないように思う。学生や企業は、それぞれの立場で賛否を論じているが…。

大差ないと思う理由は、いずれにしても、まともに勉強できない期間が1年以上あるということに変わりがないからである。

大学4年間のうち、1年間は就活に右往左往しなければならない。専門的な勉強に本腰を入れられるとは、到底思えない。何のための大学なのか。専門の知識を得るために行っているのではないのか。

疑問に思っている学生も多いだろうが、社会の仕組みがそうなっている以上、反骨精神を持ったところで、同じように行動しなければ、自分が損をしてしまう。おかしな、そして理不尽な社会である。

企業も優秀な人材が欲しいのなら、しっかりと4年間勉強した人を採用すべきである。より早い方が優秀な人材を確保できると思っているようだが、教養課程2年間+専門課程1年間しか勉強していない、中途半端な人の能力を見抜くことができるのか。

大学の本来の勉強は、3年生から始まる。研究室に入り、専門知識を深めていく。そこで学んだことを社会に活かす。大学の存在理由は、ここにある。

いまの大学は、就職のための名ばかりの経歴づくりに過ぎない。「どこそこの大学を出た」。それが一体何になる。何を学んできたのかが重要なのではないのか。2年間遊んだ後の、たった1年間の専門課程では、何の能力も身についていない。

そんな人たちが多いから、就職後3年以内の離職率が高いのである。自分のやりたいことが明確になっていないから、「この会社は違う」となる。名前や業績だけで選ぶから、目標を見失う。大学でしっかり勉強していないから、自分の目指すべき道がわからないのである。就職のための大学は、そんな人間ばかりを世に送り出している。

この問題を解決するには、根本的な制度改革を行わなければならない。就活解禁の繰り下げなど、まったく意味がない。大学では、4年間しっかりと勉強させるべきである。そして、大学をもう1年増やし、その1年間を就活期間としてはどうか。4年間の勉強の後、就活に専念する。

勉強と就活を両立させるのは、かなり厳しい。結局、どちらも中途半端になる。ならば、1年間をかけて、じっくり探せば良い。しっかり勉強しているので、自信もついているはずだ。自己アピールもしやすい。企業としても、能力を持った人材が増えることは、喜ばしいはずである。

チマチマと小賢しいことをしていたって、何も解決しない。大きな制度改革で、一気に新しい道を切り拓いてはどうか。

posted by 佐藤きよあき at 09:35| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

「最低限の生活」以下の人たちはどうするのか?

生活保護費とは、経済的に困窮する国民に対して、「最低限度の生活を保障する」ための制度である。何らかの理由で働けない人を助けるのは、国の務めであり、何も疑問はない。

だが、生活保護費受給者の実態を見ていると、「本当に働けないのか?」と思えるような行動をとっている。パチンコに行ったり、お酒を飲んだり。それほどの元気があるなら、働けるはずである。

そんな中には、「資格も技術もないから、雇ってもらえない」と言う人もいるが、行政では、職業訓練や就業支援を行っている。仕事がないと言う人ほど、こうした支援を受けようとしていない。これは、怠けていると言われても仕方がない。「資格も技術もない」というのは、これまでに勉強してこず、自業自得だとも言える。

それに、パチンコやお酒が最低限の生活の範囲に入るのか。働きながらも貧乏な人は、そのお金さえないのである。生活保護の実態を知ってしまうと、「俺も働くのをやめて、生活保護を受けよう」と思う人が出てきても不思議ではない。その方が、いまよりゆとりのある生活ができるのだから。

働いている人が、最低限の生活を保障された生活保護費受給者より、レベルの低い生活をしなければならないのは、おかし過ぎる。どんな角度から検証しても、納得のいく答えは出てこない。

最低賃金と生活保護費の逆転現象などと言われるが、そもそも同じ程度の生活費を想定していること自体がおかしくはないか。一所懸命に働いている人と働いていない人が、同じレベルの生活をしていることに、誰も疑問は持たないのか。逆転現象を解消すれば良い、というわけではない。

事情があって生活保護を受けていることに異議はないが、働いている人は、その倍程度の収入があっても良いのではないか。もし、生活保護費が最低限だと言うのなら、最低賃金を大幅に上げなければならない。

だが、生活保護の実態を探ると、東京都在住で2児の母子家庭の受給額は約29万円、4人家族で約30万円という事例がある。さらに、医療費・介護保険料・子供の義務教育に関わる費用なども自己負担がない。国民年金や水道代などの公共料金の支払いも減免される。それ以外にもさまざまな減免がある。

これが最低限の生活なのか。これ以下の収入しかない非受給者の家庭はいくらでもある。こんなことがまかり通っているから、働いている人から不平不満が噴出するのである。この実態を見ると、生活保護費は下げざるを得ない。

「働かざるもの喰うべからず」とまでは言えないが、受給者には、もう少し我慢してもらうことも必要なのではないか。

生活保護を受けながら、携帯電話やスマホを持っていることは、やはりおかしい。パソコンでネットをしていることにも違和感がある。これらは、最低限の生活には必要ない。国が保障しているのは、生きていくために必要なお金だけである。

こんなことを言うと、「受給者は人間らしい生活をしてはいけないのか」と怒る人もいるだろうが、受給者以下の生活をしている人はどうなるのか。働いているのに、報われない。申し訳ないが、そんな人たちを救う方が先である。

posted by 佐藤きよあき at 11:04| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月14日

早い者勝ち? 遅い者勝ち?

ランドセル商戦が始まっている。「春休み中に、おじいちゃん・おばあちゃんに買ってもらおう!」という戦略のようだが、実に早い。早過ぎて、来年新入学という実感がなく、間が抜けた感じがしなくもないが、まぁ戦略としてはアリかもしれない。

ファッション業界では、2シーズン以上前からアプローチを開始する。夏の水着は、遅くとも前年の冬には紹介される。お中元・お歳暮商戦も年々早くなっている。

こう考えると、ランドセル業界の「早め早め戦略」は、特に珍しいことではない。厳しい世の中、競争を勝ち抜くためには、早く仕掛けて、早く取り込むことがカギとなっているのだろう。

だが、企業としてはかなりの消耗戦ではないか。戦いが長期化すると、いつまでも同じ商品に関わっていなければならないので、別の商品に注力できない。また、早くから商品を揃えるので、ロスも多くなる。商戦終了後の在庫に頭を抱えることとなる。

だからといって、戦いを傍観しているわけにもいかず、参戦する他ない。戦いに巻き込まれず、勝利を手にする方法はないものか。

実はある。直営店を持つ、あるファッションメーカーは、街にバイヤーを出させ、その時季に流行っている服、すなわち多く見かける服を調査させ、そのデータをもとに服をデザインするのである。それを超特急で海外の生産拠点に発注し、すぐさま店に並べている。つまり、確実に売れる服だけを作り、売っているので、ロスが少なく、「流行の服を扱っている店」としても人気を得ている。これほど無駄のない戦略はない。

また、子ども服のショップでは、北海道から沖縄までの支店をうまく活用して、成功している。夏は、まず沖縄の店でよく売れる商品を調査し、その商品を増産して、九州の店のラインアップとする。つまり、季節は北上するので、一番早く夏となる沖縄の売れ行きを見て、商品構成を変えるのである。季節の北上を利用することで、確実な今年の売れ筋がわかるということ。冬は北海道から始まる。よく考えられた戦略である。

このように、シーズンに突入してから商品を生産する戦略もある。「遅め遅め戦略」で、非常に効率の良いビジネスを展開している。

早い方が良いビジネスもあれば、遅い方が良いビジネスもある。どちらが健全な経営体質かは、言うまでもないだろうが。

posted by 佐藤きよあき at 09:17| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする