2019年03月31日

SNSは、性格ブスをパワーアップさせる。

ツイッターやフェイスブックなどに対する誹謗中傷に悩み、疲れ果てる人が急増している。やめてしまう人もたくさんいる。そう、やめれば良いのである。やらなければ、そんなくだらないことに悩み、時間を費やすこともなくなる。

なぜ、誹謗中傷などという下劣なことをするのか。投稿者の余計なひと言がカンにさわるのかもしれない。嫌いな人を攻撃したいのかもしれない。

ならば、下品な言葉を遣わず、批判・批評として、礼儀正しく書き込むべきである。顔の見えないところで、汚い言葉を発することほど、卑怯な手口はない。堂々と論ずれば良い。

ところが、こういう輩は論理的なものの考え方ができない。正しい言葉も知らないので、感情的にわめき散らすだけである。それで、憂さ晴らしをしている。また、面白半分に書き込む確信犯もいる。

どちらにしても、あまり性格の良い人たちではない。いわゆる、“性格ブス”である。SNSがない時代なら、影でコソコソ悪口を言うだけで済んでいたが、SNSができてからは、覆面をして相手に堂々と悪口を言うことができるようになってしまった。しかも、自身が誰なのかは、知られることもない。

スマホが相手なので、誰にも注意されることなく、やりたい放題。相手を凹ますことなど、いとも簡単である。すると、悪意はどんどん増長される。性格ブスはパワー全開となり、醜い生命体へと姿を変えていく。

そうならないうちにやめさせなければならないが、もはやその手立ては見当たらない。いまさら、SNSを消し去ることもできない。

ならば、気の弱い人はやらないことが賢明である。性格ブスを本気で相手にしてはいけない。自分までブスになってしまう。

posted by 佐藤きよあき at 09:25| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月27日

個人の夢に税金は使えない。

以前、フリーキャスターの辛坊治郎氏と全盲のセイラーが、ヨットでの太平洋横断に挑んだが、途中でヨットが浸水し、救助を要請した。その費用は1000万円以上と言われ、「本人たちが払うべきだ」「払う必要はない」という議論が沸き起こった。

私は、本人たちに払ってもらうべきだと思っている。夢を追いかけ、冒険をすることは素晴らしいが、まったく無関係な人に迷惑をかけてはいけない。すなわち、国民の税金を使わせてはいけないということ。

「ここで払わせると、お金持ちだけが夢を追えることになる」という意見をどこかで眼にしたが、違和感を憶える。正当な意見にも聞こえるが、個人の夢のために数千万円もの税金を使うことが正しいのか。お金持ちだけができる、ということも夢の一部だと思うがどうだろう。

「みんなで応援してあげようよ」と、大人の対応をする人もいるが、自分の夢は自分の責任で追いかけて欲しい。「困ったから助けて!」は通用しない。

これは登山者にも言えること。遭難した時に、警察の防災ヘリが出動したら無料で、民間ヘリが出るほど大事になれば、民間分の費用は払わなければならない。これもおかしな話である。警察ヘリの費用も払うべきである。

遭難する人の大半は、天候などを甘く見て、無謀な登山をした結果である。これをなぜ税金で助けなければならないのか。事故や災害時の救助とは違う。自ら危険を冒したのである。そこは、自己責任であるべき。

いまだに、ホームレスやネット難民が数多くいるというのに、ヨットに乗ることができるだけでも幸せな身分である。その上に、夢を叶えるための無謀な冒険。そんな人たちに、なぜ税金を使わなければならないのか。

その数千万円を本当に困っている人たちのために使う方が、よほど有意義な使い方ではないのか。

「もしもの時はお願いね!」では、冒険する資格はない。危険なことはわかっているのだから、万一の覚悟をして行くべきである。救助を求めたいのなら、もっとスポンサーを募り、すべてのサポートをお願いしておくべきだ。

助けてもらって、涙で“ありがとう”と言ったところで、国民に迷惑をかけたことは、決して消すことのできない失敗である。

posted by 佐藤きよあき at 09:00| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月24日

ニートは、国民への迷惑行為。

最初に断っておくが、ここで書くニートとは、自らの意志で働かない人たちのことであって、病気や怪我、親の介護などで働けない人たちではない。

ニートは言う。「誰にも迷惑をかけてないでしょ」。また、同じ理由で「食っていけるのなら、本人の自由でしょ」と、物わかりの良い大人のフリをする人がいる。だが、まったくの認識不足である。

ニートは、かなり他人に迷惑をかけている。

働いていないということは、所得税を払っていない。つまり、国を運営するための税収が減ることになる。ニート約60万人分が入ってこないのである。働かなければ、厚生年金・国民年金も払えない。支給年齢の引き上げや減額を招いている。年金制度破綻の一因にもなってしまう。収入がなければ、結婚もできない。すなわち、将来国を支える子どもが少なくなってしまうのである。

こうしたニートのために、国は若者向け就職支援の場である「ジョブカフェ」を開設し、1年間に900億円を投じたと言われている。また、全国100カ所以上に「地域若者サポートステーション」を設置し、働くことへの悩み相談を受けている。

だが、ニートは一向に減らない。働かない理由を聞いたアンケートによると、単なる“甘え”でしかないことがわかる。

・探したが見つからなかった
・希望する仕事がありそうにない
・知識・能力に自信がない
・急いで仕事に就く必要がない

「ふざけるな!」と、怒鳴りたくなるのは私だけではないだろう。いまは、仕事がないわけではない。希望通りの仕事に就ける人間など、ほとんどいない。選り好みしているに過ぎない。まともに働いたことのない人間が、どうやったら知識や能力に自信を持てるのか。誰も自信満々で就職したわけではない。働くのは、社会へ出ることであって、必要性だけではない。

こんな甘えた人間が増えてきたのは、ほとんどの場合、親が原因である。親が子どもを甘やかした結果である。うだうだしている子どもを叱咤激励して、外に放り出すべきである。甘やかすのは、子どもに無関心だから。子どもとケンカしたくない。イヤな思いをしたくない。煩わしいことは避けたい。決して、子どもが可愛いわけではない。

子どもはいつか突き放さなければならない。それが、親の愛情である。愛情の欠如が、ニートを生み出したのかもしれない。

posted by 佐藤きよあき at 09:39| Comment(1) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

親の言うことなんか、聞くな!

親離れできない大学生が増えているという。「困ったことは親が助けてくれる」「お金が必要なら、親が援助してくれる」と、甘えた大学生が多く、親も甘やかしている。

そのことと関係があると思うのだが、最近は親子の関係が、より密になっているようにも見える。どう見ても20歳を超えている子どもと親が、仲良くショッピングや食事を楽しんでいる光景をよく眼にする。母娘のみならず、父娘、母と息子、家族みんなで。親と仲良くしている子どもは、親の言うこともよく聞くらしい。

「親子が仲良くしているのはいいことじゃないか」と思う人もいるだろうが、ハッキリ言って、私は気持ち悪い。

年齢的には、友だちや恋人と一緒にいることが多いはず。親から離れて、別の世界で視野を広げる時期である。親と一緒にいることが煩わしくなってくる年齢でもあり、言うことも聞かなくなる。

仲良しをやめろと言っているのではなく、巣立っていかなければならない時期であることを自覚して欲しい。学生であることで、まだ甘えがあるのかもしれないが、精神的には自立しなければいけない。

学費や生活費は援助が必要だが、それ以外のことは、すべて自分ですべきである。問題が起これば自分で解決し、お金がなければバイトをする。高校を卒業すれば、働いて経済的にも自立している人も多い。そんな人たちと自分を比べてみて、何でも親に頼ることは恥ずかしい、と思うくらいでないといけない。

それが、自立心。自立心がないから、親とベタベタすることに抵抗がない。こんな大学生が社会人になろうとする時期には、さらに気持ち悪い現象が起こる。

企業による、親を対象とした就職説明会がある。親が自分たちで納得した企業に、子どもを入れたがるという。子どもも親の奨める企業に入ろうとする。なぜ、自分で決められないのか。自分で決めたいとは思わないのか。

それだけではない。結婚相手を探す時にも親が出てくる。親同士が代理でお見合いをしてから、自分たちが気に入った相手と自分の子どもを合わせるという。この国はどうなるのか、とさえ思う。世の中の流れだから…で、済ませるわけにはいかない。

大人になって社会に出るということは、すべての責任を自分で負わなければならない代わりに、自分の意志で自由に生きていけるということでもある。大学生という時期は、その準備期間なのである。

ちょうど同世代の子を持つ親として言いたい。大学生よ、親の言うことなんか、聞くな! 大人になるために、自分の意志で行動しろ!

posted by 佐藤きよあき at 09:34| Comment(1) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

“転勤”を無くせば、社員は定着する!?

サラリーマンは、命令された転勤や配属を拒否することはできない。拒否すれば、出世の道は途絶え、陽当たりの良い席に追いやられる。

なぜ、転勤を拒否できないのか? 非常に疑問を感じる。仕事内容や配属先は、給料を貰う以上、命令に従わなければならない。だが、住む場所まで強制されるのは、納得がいかない。

慣れ親しんだ町、友人たちのいる地元を自分の意志に関係なく、離れなければならないのはおかしい。どこに住むかは、プライベートな問題。会社に命令される筋合いはない。

そもそも、なぜ転勤があるのか。会社として注力するセクションに優秀な人材を集めたい、というのなら理解できるが、すべての転勤族がそうだとは思えない。ただの慣例に過ぎないのでは?

金融機関のような、不正防止という意味合いのある転勤は必要なことである。だが、一般企業では、人が入れ代わるたびに引き継ぎなどで業務が滞り、“ムダ”が多くなっているのではないか。また、その土地での仕事に慣れてきたところで、次の任地への辞令では、クライアントやお客さまとの関係づくりにも支障が出る。

理想は、現地採用で優秀な人材を育てることではないか。そこで、いま拡大しつつあるのが「限定正社員」。仕事内容や残業、勤務地などを契約で限定する正社員のこと。親の面倒を見ている人や子育て中の人には、“助かる”制度ではないか。また、地元から離れることなく、じっくり腰を据えることで、地域密着の仕事ができるのではないか。

銀行や小売業など、大企業の約半数がすでに導入している。給料は正社員に比べやや少なくなるものの、他の待遇面ではあまり変わりはない。

非正規雇用から限定正社員に移行する企業も出始めている。これは良い傾向である。ただし、逆に正社員を限定正社員に変えて、給料を抑えようとする可能性もある。さらに、事業所閉鎖・縮小といった際に、クビを切りやすくするためではないか、という懸念もある。

現在、続々と出てくる新しい制度、「雇用規制の緩和」「解雇補償金制度」「裁量労働制」は、ほとんどの場合、企業にとってメリットのあるものばかり。だが、非正規などの悪環境を思えば、改善の方向へは向かっている。上手く利用すれば、働きやすくなるのではないか。だが、働く側は慎重に会社側の真意を見極めなければならない。

posted by 佐藤きよあき at 09:18| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする