2019年01月30日

国が口出しする産業は、成長しない。

政府の「クール・ジャパン戦略」。漫画・アニメ・J-POP・ファッションなど、日本独自のポップカルチャーをもっと海外に売り込もうという計画のことである。海外収入の増加や訪日外国人を増やすことを目的としている。

日本が得意としているクリエイティブ産業を海外に広めようとしていることは意義のあることだが、はたして政府が率先してやるべきことなのか。

そのために計上された予算は、数百億円。有識者を集めた推進会議の設置費用、海外展開する事業に対する補助金、海外の中・高・大学生を日本に招待する事業費、アパレルやレストランが集まる「ジャパン・モール」の立ち上げ費用……。言わば、日本をPRする予算が、数百億円ということである。

「クール・ジャパン戦略」に乗っかることのできる事業者は、有り難いことだと思っているだろう。これを利用して、海外に進出しようと目論んでいるかもしれない。だが、ここに落とし穴が隠されている。

「国が補助してくれるから、やってみるか」と、決して積極的ではない事業者が名乗り出てくることだ。元々、海外展開を考えていた事業者なら、すでにアクションを起こしているはずである。国のサポートなど、アテにはしていない。

「国がやってくれるなら、お金も掛からないし」と考えるような事業者が、本気で取り組むとも思えない。「ダメもとだから…」と考えて、本当にダメになる。

どの分野においても、海外を目指す事業者は自ら積極的に動いている。その結果、日本製品・技術の優秀さが世界に認められているのである。「巨額な投資をするからには、失敗は許されない」との思いが、海外での成功に繋がっているのである。

国がお金を出すと、甘えが出てくる。失敗しても損はしない、と。精神論になってしまうが、身銭を切らなければ、身につかないもの。自らの意志で出て行かなければ、成功はしない。

いまだTPP絡みで農業団体が騒いでいるが、これなども、国が農業に対して口出しし過ぎたために起こった問題だと言える。

「あれを作れ! これをやれ!」と指導し、農家が自ら考えることを許さなかった。作りたいものを作り、売りたい場所に売る、ということができなかった。その結果、農家は農協の言いなりになり、農薬だらけの作物を作って、農協に持って行くだけとなった。そこに、TPP問題が…。

安い海外産との差別化ができない。自ら売る方法を知らない。こうなると、TPPに反対するしかなくなる。

農協依存に危機感を持った農家は、自ら行動し、高付加価値作物を作り始めている。海外へも進出している。TPPを歓迎しているくらいである。この違いは、何だろうか。

ポップカルチャーであれ、農業であれ、国は口出ししない方が良いのではないか。意識が高ければ成長するだろうし、やる気がなければ消えていく。

国は、自由に活動できる、土壌づくりに専念していれば良い。

いま現在、クールジャパン戦略は、まったくと言っても良いほど、成果を出していない。

posted by 佐藤きよあき at 09:45| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月27日

自分を鍛えたいなら、中小企業へ。

就活環境が改善傾向にあるとはいえ、まだまだ学生は苦悩している。どれだけ受けても内定をもらえず、中には数十社を落ちている学生もいる。「就活うつ」になって、自殺する学生までいる。

そこまで就職口がないものなのか。いや、そうではなさそうだ。大学生の就活において、学生と企業のミスマッチが問題となっている。

中小企業からの求人はかなりの数になる。なのに、学生が敬遠して受けないのだという。これが、いわゆる「ミスマッチ」という問題のひとつの要因である。

求人はそれほど少なくないにも関わらず、大企業・有名企業に応募が殺到し、競争が激しくなっている。

バブルを知らず、ケチケチ環境で育ってきた人たちが、大企業・安定志向に走るのも無理はない。親としても、できることなら「食いっぱぐれのない」企業に就職して欲しいと願うだろう。

だが、大企業のキャパシティには限りがある。望み通りにならないのが当然のことと、受け止めなければならない。

「大企業・安定」に、夢を持っているのかもしれないが、その夢を実現させることは、ほぼ不可能に近い。

非情な言い方をするが、自身の大学のレベルを理解しているか。また、自身の能力をわかっているか。よく考えれば、大企業に就職できるかどうかはわかるはずだ。

「もう学歴社会は終わっている」と思いたいだろうが、大企業への就職に関しては、まだまだ学歴社会は現存している。

誤解されては困るが、あくまで大企業への就職や官僚になる時のみ、学歴が関係してくるのである。社会に出てしまったら、実力がものをいう。

大企業に就職することに、どれほどの意味があるのか。給料が高い、休みが多い、安定している。魅力的に思えるかもしれないが、約40年勤め上げるためには、『やりがいを見出せるかどうか』が、最大のテーマとなる。

どれだけ条件が良くても、面白味を感じず、奮起することもなければ、絶対に長続きはしない。悩み、もがき苦しむことになる。

「大企業・安定」に夢を見ていたかもしれないが、やがて、それが本当の夢ではなかったことに気づいてしまう。「俺の、私の夢はこれじゃない!」と、退職願を書くことになる。

大企業は、やりがいを感じにくい環境だとも言える。ひとりで何かを成し遂げることもなければ、少人数でプロジェクトを成功させることも少ない。ひとつのことに大人数が関わり、システム化された中で、ひとりひとりは小さなことを担当するだけである。大企業になるほど、人材はひとつのパーツでしかなくなる。

それに比べて中小企業は、大きなやりがいを感じることが多い。人材が少ないので、ひとりの人間が受け持つ仕事は多くなる。責任も重大。休みも少ない。だが、期待されている。自分の存在意義を感じるだろう。まさに、やりがいのある仕事である。

ひとりでやらなければならない仕事も多いので、幅広い知識・技術を身につけることができる。追い込まれることもあるだろう。自分を痛めつけなければならない時も来る。だからこそ、鍛えられるのである。

苦しい時には、数少ないまわりの人たちが必ず助けてくれる。それが、中小企業である。

ハッキリ言うが、大企業は冷たい。それは、人材の重さが違うからである。大企業は、業績が悪化すれば、簡単にリストラをする。だが中小企業は、簡単には捨てない。人材こそが第一の財産だと考えているからである。

学生たちよ。そんな中小企業を選んでも良いのではないか。就職先が人生を決めるのではない。人生を決めるのは、自分自身である。

posted by 佐藤きよあき at 10:25| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月23日

ほとんどの国民に関係のない「3年育休」。

安倍首相が、働く女性たちの支援策として、数年前「3年間抱っこし放題(育児休暇を3年まで延長)」プランを打ち出した。いわゆる「3年育休」である。

子どもが3歳になるまで、仕事を休むことができるのは、子育てという面から見れば、非常に適切な期間ではないかと思う。有り難いと捉える女性もいるだろう。

だが、実際に3年間も休めるものなのか。この制度に対する当事者の意見でも、「仕事に復帰できるかどうか不安」「キャリアを失うのではないか」という言葉が出ている。

3年も経てば、仕事のやり方も組織も人も変わってしまう。また、一から出直さなければならない。それほどの勇気を持てるかどうか。

また、本人の精神力が問題である。いくらバリバリに頑張っていた人でも、3年も休めば、能力は落ちる。勘も鈍くなる。怠け癖もついているかもしれない。

そうならないためには、休んでいる間も腕をサビつかせないように、鍛錬していなければならない。子育てをしながら、そんなことができるのだろうか。

そう考えると、3年も休む気にはなれないのではないか。実際、数年が経ったいま、この制度を利用した人はほぼいない。休んでも半年程度。それ以上は不安で仕方がないはず。ならば、こんな制度は不要である。

第一、国内全企業の7割(従業員数比)を超える中小企業で、3年間の休暇などあり得ない。

数ヶ月なら、残った人でカバーできるかもしれないが、1年、3年となると仕事はまわらない。辞めてもらって、新しい人を入れたいのが本音ではないか。本人としても、3年も休むくらいなら、会社に迷惑をかけるので、自ら身を引く道を選ぶだろう。

大企業の人であっても取りにくい休暇。そして、中小企業では絶対に取れない休暇。すなわち、ほとんどの国民には関係のない話なのである。

それと、もうひとつ。この「3年育休」には、男性の育児参加の話が出てこない。子育ては夫婦で協力するもの。女性をサポートするためには、男性にも休暇が必要となる場合がある。同時期あるいは交替で休暇を取れる制度が必要である。

だが私は、すべてを否定するわけではない。「女性の育休をもっと認めろ」「男性にも育休を与えろ」と、政府が企業に対して要望していることは評価する。

本来なら、経団連などが言い出すべき問題であるが、経営者側の集団が、面倒なこと、都合の悪くなることを言うわけはない。また、労働組合や評論家が言ったところで、誰も何もしない。政府が口出しすることで、企業が動き出すのなら、どんどん口出ししてもらいたい。

ただし、的外れにならないように。

posted by 佐藤きよあき at 10:45| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月20日

世界を食い尽くす日本。

一時期、うなぎの稚魚が激減し、
うなぎの価格が高騰した。

だが、稚魚の減少はあまり改善せず、
うなぎは高額なまま取り引きされている。

夏の行事として、
「土用の丑の日」を楽しみにしている庶民には、
もう手の届かない存在となるかもしれない。

と思っていたら、明るいニュースもある。

熊本の企業が、インドネシアのジャワ島で
うなぎの養殖を始めている。

現在は、
インドネシア国内への出荷に留まっているが、
うなぎの漁獲量が激減する日本での需要を見込み、
今後、日本への輸出を強化するようだ。

インドネシア近海は、
うなぎ発祥の地だと考えられており、
稚魚は豊富だという。

これは期待できそうである。
上手くいけば、また美味しいうなぎが食べられる。

……と、のほほんと喜んでいて良いものか。

世界中で稚魚が少なくなっている中、
稚魚が豊富だからという理由で、
何も考えずに輸入して良いのか。

ここを獲り尽くしたら、どうなる。
本当にうなぎが食べられなくなるのではないか。

インドネシアにとっても、資源の枯渇は痛手となる。
だが、その時日本は、
素知らぬ顔で別の調達先を探すだろう。
これまでもそうだった。

確かにうなぎは美味しい。
食べられなくなることは淋しい。
だが、貴重な資源は守らなければならない。

ならば、答えはひとつ。
稚魚の数が回復するまで、獲らないことだ。

うなぎの完全養殖ができない以上、
“我慢”するしかないのである。

かつて、秋田のハタハタが乱獲で激減した際、
漁師たちは3年間漁を休んだ。

その結果、ハタハタの数は増え、
漁を再開することができた。

勇気ある決断で、食文化を守ったのである。
うなぎに関しても、禁漁が必要な時期ではないのか。

うなぎが食べられなくても、
他に食べるものはいくらである。

だいたい日本人は贅沢過ぎる。
頻繁に美味しいものを食べようとする。

種類も量も豊富にあり、選択肢が非常に多い。
美味しいものが多いが故に、
そのすべてを食べ尽くそうとする。

季節やイベントに合わせて食べるだけなら、
これほどの食材は必要ない。

世界各地から輸入しなければならない状況に
陥ることはなかった。
欲張りなのである。

うなぎだけではない。
クジラを筆頭に、
まぐろ、えび、たこなどを食い尽くしてきた。

食べ過ぎの日本人も悪いが、
商社が世界中を駆けずりまわり、
日本の飽食を推進してきたのである。

もう、やめなければならない。
資源のバランスを見ながら、食べなければいけない。

日本の料理人・主婦は優秀である。
アイデアと工夫で、食材に頼らない
美味しい料理を生み出してくれるはずだ。

激減している資源は、
数が回復するまでしばらく待とう。

またいつか、うなぎ屋さんに行列する日が、
必ずやって来る。

posted by 佐藤きよあき at 10:17| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月18日

ニセモノを認めると、倫理観が失われる。

「ジェネリック家具」が市場に登場している。

20年の意匠権が切れて、デザインの模倣が許され、
堂々と“ニセモノ”が販売されている。

デザイナーや作家が創作した家具と
同じものが低価格で買える。

憧れの家具が安く手に入るから、
喜ぶ消費者もいるだろう。

だが、作者を愚弄するものではないのか。

法律的に問題はなくとも、
作者の許可なくデザインを使用することは、
倫理的にどうなのか。

また、ニセモノを手に入れて、本当に嬉しいのか。
高くとも本物を手にすることに、
価値があるのではないのか。

「本人が納得していれば、それでいいんじゃないの」
という意見もあるだろう。
確かに消費者目線で考えれば、そうかもしれない。

では、作者のプライドはどうなる。

精魂込めて生み出した作品を勝手に真似されて、
どんな気持ちだろうか。

そこには倫理観がない、と思うのは私だけか。

真似して売る側の人間には、プライドがないのか。

「儲けてはいけないのか」「法律は犯していない」
と開き直る。

そういうやつらがいるから、
倫理観が失われ、人は荒んでいくのである。

大袈裟だと言われるかもしれないが、
法律に触れない程度の品性のない行いが、
少しずつ社会のほころびを大きくしていくのである。

よって、ニセモノは認めてはいけない。
消費者が買わないようにしなければならない。

「では、ジェネリック医薬品は
ニセモノではないのか」と、
議論を持ち掛けられるかもしれない。

結論から言うと、
家具と医薬品を同じ次元で語ることはできない。

研究者が精魂込めて新薬を開発することは、
デザイナー・作家と何ら変わることはない。

だが、本来の目的が違う。

家具は趣味性の高いもの。
嗜好品のようなもので、
好みによって人それぞれの選択がある。

だが、医薬品には必要な効能があり、
利用者が好き勝手に選べるものではない。

どれだけ高くても、
病気を治すためには手に入れなければならない。
そのための金銭的負担も非常に重い。

けれど、貧富の差で治療に差があってはならない。

これを解消するために、
ジェネリック医薬品が誕生したのである。

医薬品の特許権は、出願から20年。
それを過ぎれば、他メーカーが
自由に同じ成分の医薬品を作ることができる。

開発に費用が掛かるので、特許権で保護し、
利益を確保しなければならない。

それは理解できるが、
人の命を守るということを考えれば、
医薬品の特許権にも疑問は残る。


デザイナー・作家の家具は贅沢品。
医薬品は必需品。
同じジェネリックでも
まったく違う捉え方をしなければならない。

posted by 佐藤きよあき at 11:20| Comment(0) | マーケティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする